持病を隠していた従業員から、残業による持病悪化で損害賠償請求されました。
安全配慮義務
使用者には、労働者が生命や身体の安全を確保しながら働けるよう、必要な配慮をしなければならないという安全配慮義務(労働契約法5条)があります。この義務には、健康な労働者が病気になるのを防ぐということだけでなく、病気の労働者がさらに悪化するのを防ぐという意味もあります。
質問の例では、当該従業員は毎日残業していたということですから、長時間労働に従事したことにより、身体的な負荷や精神的なストレスがかかっていたと思われます。そうすると、以前から心臓の持病を患っていたところ、6か月間にわたり長時間労働に従事する状況が継続するなどして疲労や心理的負荷が過度に蓄積したことにより、当該従業員の心臓疾患が悪化し、入院治療をして休業療養を余儀なくされたのであれば、同人の過重労働と損害との間に因果関係が認められます。
そして、会社が、当該従業員の業務量を軽減したり、人員配置を見直したりするなどして残業を減らさなかったのであれば、心臓疾患の悪化について安全配慮義務に違反したということになります。
過失における予見可能性
ところで、損害賠償責任が認められるためには、使用者に過失があることが要件であり、その前提として、予見可能性(債務者がある結果を事前に予測できたこと)がなければなりません。予見可能性の対象については、特定の疾病の発症が予想されることまでは必要なく、過重労働をすれば健康が悪化するおそれがあるという抽象的な危惧があれば足りるというのが裁判例の傾向になっています。
当該従業員が6か月前から長時間労働に従事していた実態があったのであれば、会社が悪化するまで心臓疾患を有していることを知らなかったとしても、毎日残業をしていたことを認識し、または認識することができたのですから、当該従業員の健康が悪化するおそれを予見することができたということになります。そうすると、会社には疾病の増悪という結果について予見可能性が認められるのであり、当該従業員が持病を隠していたからといって、会社が安全配慮義務を負わないということにはなりません。
これに対し、心臓疾患を有する労働者にとっても増加した業務量は過重とまではいえず、労働時間についても、脳・心臓疾患との関連性が弱いとされる1か月当たり45時間未満の法定外時間外労働(1日8時間超、1週40時間超)しかしておらず、かつ当該従業員が持病を隠していたので、その健康状態が悪化していたとは全く見受けられなかったのであれば、会社が以前から心臓の持病を患っていることを知らなかった以上、予見可能性はないということになります。
実態把握義務
だからといって、使用者は、自己の負う責任を軽減するため、労働者の健康状態から目を遠ざけるべきではありません。裁判例においては、労働者の健康状態を把握・管理する義務が認められており、労働者の健康状態に対する関心の低い使用者の責任が軽くなるという結論を認めていません。そこで、会社としては、当該従業員の健康状態を的確に把握していくことが肝要です。
この点について、使用者の労働者に対する健康確保を強調するとプライバシー侵害を引き起こすとの見解があります。しかし、労働者の健康状態は、その提供する労務の内容に関わるので、労働者のプライバシーには配慮が必要であるとしても、これを理由に使用者の義務を減免することはできません。そもそも使用者の労務指揮権が及ばないところまで無制限に健康確保措置が義務づけられることはないのです。本人任せにせず、労働者の健康状態の悪化が起こらない程度まで業務量を適切に調整して業務軽減措置を講じることが必要です。そこで、会社としては、当該従業員のプライバシーの侵害についても十分な考慮をした上で、持病悪化の防止について配慮すべきでしょう。
※この記事は、2024年2月29日に作成されました。